釜炒りの6月

 ふりかえればこの茶月中旬、この地の人々が商品作物としてではなく、自宅の日常飲料として作り、一年分を蓄えて飲んできたお茶の茶摘みも季節を迎えていました。
 白谷清茶堂にとって、茶文化に関わるあらゆる資料収集・フィールドワークからなる研究は、茶の栽培・製造・販売の片翼を担う、重要な活動目的の一つです。

 自宅用のお茶は、家の裏手やその斜面などに植えた、または種から育てた茶樹の茶葉を手摘み、または袋がついた鋏で刈り取り、自宅の庭で釜炒り作業で作るものが一般的です。
 いまは高齢者の方々が半ば楽しみとして毎年行ってきた茶摘み~釜炒りからなる自宅製茶法の概要を実見し、体験し、記録するという、取材される方々には忙しい中をはなはだ迷惑であろう現地調査を、拝み倒してお願いして行いました。
 これまで地域おこし協力隊として吉賀町のお茶の事業を推進してきた上原のキャラクターとその情熱にほだされ、白谷清茶堂の後援者であり石見文化としての茶の聖性を奉じる西山住職の根回しに頷いて、みなさん応えてみせて下さったのです。感謝しかありません。
 詳しくは上原からの詳細な報告を待たねばなりませんが、一つだけ、目立ちやすい特徴についてだけ書いておきます。今回、釜炒りを見せていただいた三軒のご家庭で使われていた「道具」についてです。

 釜炒り製茶で大きな見どころに、文字通り茶葉を釜で炒る過程があります。ナベと呼ばれる底の直径およそ50cmの鉄製またはアルミ製の鍋で茶葉を熱し、自ら発する水蒸気で茶葉を蒸し上げる、殺青(さっせい)という作業工程です。イル(炒る)とよんでいます。
 本家中国式に従えば、素手で、または布手袋などをつけて茶葉を熱した鍋に両掌で押し付け、かきあげ、まわして、焦がさぬよう気をつけながら、上部の茶葉自らを蓋にするように水蒸気を食らわせて炒ってゆきます。
 この地では素手だけで殺青する場面はみられませんでした。その代わりに軍手、両手に枝という二通りの道具で炒るやり方が見られました。
 一軒目はアルミ鍋に最初は軍手だけ、後に杓子と軍手でイッていました。しかも途中でさし水をして蒸すという、釜で炒りながらの蒸青(外部から水蒸気を加えて蒸して殺青する日本緑茶の技法)がみられました。
 二軒目は鉄鍋に二本のエダとよばれる道具でイッていました。この家では先が三本に分かれている40cmほどのクロモジの枝を使っていました。お父様の代からなので40年近く使い込んできたそうです。この家ではさし水をしません。
 三軒目は鉄鍋に二本のキノエダとよばれる道具でイッていました。この家でも先が三本に分かれた60cm弱の木の枝を使っていました。木の種類は聞き損ないましたが「山に行けばある」と教えてもらいました。私たちが持ち込んだ茶葉の量が極端に少なかったので、ほんの少しだけさし水をして水蒸気を発生させていました。
 数年前に見せてもらった別の部落のお宅では、杓子とただの木の枝を使っていて、初めてこの地方の釜炒りを見せてもらった私たちは大いに驚かされましたが、今回改めて、幾つかの事例をみせてもらって、家ごとに創意工夫があり、婚姻による技術の伝承や刷新など、生活史に深く根差していることがよくわかりました。地中深く根を延ばす実生の在来茶のように、製茶法も多彩で、次世代へと優良な技術を選んで残してきた強さと愛の賜物であったのです。
 この伝来の釜炒り茶の未来にも白谷清茶堂はしぶとく寄り添って学んでゆきたいと思っています。(文責:村山和之)